髪を切った。

腰辺りまで伸びた、お世辞でも綺麗とは言えない金髪を。



伸ばそうとしたきっかけは単純で、

あいつがよく読む本のヒロインがロングヘアーだったから。

考えれば考えるほど単純な思考だ。



でも、

それも今ではどうでも良くなった。

こうした方が共に生きられると、

そして、在れると思ったから。


あいつはどんな顔をするだろうと思い描きながら、軽くなった頭と軽い足取りで部屋まで駆け出した。











君がついた嘘











私たちはスラムと呼ばれる特に治安の悪い地区に住んでいる。

ストリートチルドレンが溢れ、秩序なんてものは仲間内でしかなかった。

身を守ってくれる大人たちは私たちの世界にはいるはずもなく、

自分の身は自分で守り、奪わなければ奪われる、それが当たり前の世界だった。

もちろん、物心ついた時からここにいる私は親なんていない。

でも、寂しくはない。

仲間たちという家族とオルガがいるから。

オルガがいる事、それがわたしの居場所、

オルガが生きていることが、私の存在の意味だった。



「・・・なんだろう、あの車?」

オルガの住んでいるアパート(廃墟)の前にここには似つかわしくない、黒い車が停まっている。

どこも壊れていない、窓まで黒塗りのいかにも、な車だ。

そういう車がここに来るときは大体いい事はない。

”仕事”を持っては来るのだが、危ないものばかりで、

報酬はそれなりだが、必ずといっていいほど犠牲が出る。

私たちはそういうやつらのことを真っ黒な車になぞって”死神”と呼んでいた。

オルガは特にそういう奴らを嫌っていて、仕事を引き受けることはなかったが、

ここでのオルガの話を聞いた奴らは必ず一度は訪れる。

このスラムで最強といわれる、オルガ・サブナックの手を借りに。


しばらく離れて見ていたが、程なくして車は発進した。

車が見えなくなるまで様子を伺い、それからアパートの入り口へと向かう。

中の仲間も様子を伺っていたのか、ちらほら外に出てきた。

「おう、じゃないか。どうしたんだよ髪?」

「なんだぁ?とうとうオルガに失恋したかー?」

わたしのオルガへの気持ちは仲間にはバレている。

わたしもそれを特に気にしていないのでからかわれるのは予想の範囲内だった。

予想通りの反応をして手を振りながらこちらへ向かってくる仲間にわたしは声を上げる。

「はいはい。大人しく似合うとか言えないのかねー!だから、彼女いないのよ、あんたらは!!」

「余計なお世話だっての!」

「そっくりそのまま返してやるよ、その言葉!」

お互い、気の知れた仲間だから、悪態をついても喧嘩にはならない。

笑いあって、ふざけ合いながら、毎日を自由に過ごしている。

わたしは二人に駆け寄り、耳打ちをした。

「ねぇ、さっきの車、何だったの?」

その言葉に二人は顔を合わせ、首をかしげる。

「俺らもわかんねぇよ。オルガの部屋に入っていたけど、ものの10分ぐらいで出てきちまったし」

「ふーん。オルガに用事があったのは確かなんだ」

「ああ。でも、今回の死神、いつもとちょっと違うんだよ。」

「そうそう、めっちゃくちゃ奇麗にしててさ、なんつーの、そういう筋の奴らとは全然違うんだよね。」

わたしは眉を寄せて顔をしかめた。

奇麗な死神。

まったく想像のできない状況に首もかしげる。

「ま、お前、これからオルガん所いくんだろ?だったらそれとなく聞いといてくれよ」

「うん、分かった」

それから、二人は町へ行くといい、

わたしはどうしたか引っかかる死神のことを胸に抱きながらオルガの部屋に向かった。





こんこん、と控えめなノックをする。

「オルガー入るよー」

「ああ」

いつもの通りの短めな返事が返ってきて、わたしはすぐさまノブを回した。

オルガの部屋は特別な空間だ。

ベットにソファ、テーブル、そして、本棚には本がぎっしりある。

他の仲間たちとは違い、綺麗に整頓されていて、清潔だ。

そういうことをやってくれる女でもいるのかと思ったが、どうも自分でやっているようだった。

わたしにとってこの空間が特別なのは、他でもないオルガがいるからである。

中に入ると、オルガはソファに横になり、本を読んでいた。

「オルガ、死神来てたでしょ、何だって?」

「ああ、別に」

(・・・別にって、あんた)

心底、どうでもいいように答えるオルガにわたしはがっくりする。

オルガの事だ、教えてくれといっても教えてはくれないだろう。

「で、何のようだ?」

「用・・・?」

わたしはそこで本来の目的を思い出した。

まったく気づく様子のないオルガに怒りがわいてくる。

気づかないのもそのはずだ。

オルガは一度も目を上げていない。

しばらくわたしが黙っていたのが気になったのか、

そこでやっとオルガは本から目を外し、私の顔を見た。

「おいおい、お前、俺に金時計の鎖でも買ってくれるつもりかぁ?」

第一声はそれだった。

それは有名な小説の内容を指したもので、わたしにも言いたいことは良く分かる。

つまり”髪を切ったのか?”と言いたいところだろう。

「・・・立派な金時計のないオルガが、わたしに髪飾りを買ってはくれないでしょ?」

「そうだな。第一、お前に似合わない」

さらにむっとしたが、オルガは気にする様子もなく、そう言ってまた視線を本に戻してしまった。

「あのさー普通はそこで「何の心境の変化だ?」とか「どうして切ったんだ?」とか言うもんじゃないの?」

「どうして切ったんだ?」

オウム返しのように聞いてくるオルガにわたしはがっくりと肩を落とし、

諦めてソファに寄りかかるようにして床に腰を下ろした。

「はぁ、オルガってなんでそんなに女の子に無頓着かね。」

「お前が女の子かぁ?」

「・・・殴られたい?」

こぶしを作って睨み付ける。

オルガは肩をすくめて首をかしげた。

それはお決まりの人をバカにしているポーズだった。



わたしたちはいつもこんな感じだ。

最初はオルガが女のわたしを部屋に何も言わずに入れていることから、

当初は付き合っていると噂されていたが、最近では噂すら一切聞かない。

それは仕方ない。

恋愛感情があったり、ベッドを共にしたものというのはそれなりの艶が出てくるもので、

私達にはそういった雰囲気が全くないからだ。

(・・・確かにそうだけどさ)

いい訳くさくそれだけじゃないと口の中でいった。

噂が減っていたのは、オルガが死神たちに連れて行かれる、という話が広まっているせいもあるからだ。



自分ではこの関係を割り切っているはずなのに、やはり髪型一つのことでも反応がないと寂しいものだった。

「あーあー、なんかあたしがいなくなってもオルガは全然どうでもよさそうだよね」

背伸びをしながらちらりとオルガをの反応をうかがう。

また、無反応かと思っていたが、それに反してオルガと目が合った。

ドキリ、というかビックリだった。

「じゃあ、お前、逆に俺がいなくなったらどうする?」

質問に質問で返されてしまってがっくりとする。

目が合ったとき、もしかして!と期待したあたしがバカだったのだ。

でも、これはチャンスかもしれない。

自分からそういう雰囲気にすればいいんだ。

あたしは意を決して口を開く。

「気付くにきまってるじゃん。オ、オルガがいなくなったらすごく寂しいもん」

ああ、ダメだ。

それが精一杯だった。

そんな恋の駆け引きが自分に出来ていれば、とうにいい関係だっただろう。

でも、オルガは少しだけ口元を緩め笑みを作る。

自分の顔に影がかかり、覗き込むようにしてオルガの顔があった。

今度はビックリとドッキリが同じぐらいだった。

「仕方ねぇな、手紙ぐらい書いてやるよ」

冗談交じりな声で告げられたその言葉はあまりにリアルで言葉を失う。


それはいなくなってしまうということなのだろうか。

ふと、綺麗な死神が横切った。


恥ずかしくて背けていた顔をあげ、オルガと顔をあわせる。

「・・・オルガ?」

ふっと真剣になったオルガのをに不安を掻き立てられた。

わたしは自然に目頭が熱くなり、目の前がゆらゆらしてくる。

泣くまいと必死になっていたが、突然鼻に痛みを感じ、たまっていた涙が零れた。

「なーに本気で心配してんだか、お前は」

オルガがわたしの鼻をぎゅっとつまんでいたのだ。

「ひょっと、ひゃなしひぇよー」

「あはは、少しは鼻が高くなるんじゃねぇの?」

意外に強い力で摘まれて、痛みに身じろいでいると、オルガは声を上げて笑った。

相変わらずのオルガの様子に少しだけ安心し、そんなことは絶対無いんだと自分に言い聞かせる。

そんな保障はどこにもないのに。

一通りケンカ寸前のふざけあいを続けて、読みかけの小説がソファから滑り落ちた。

わたしは拾うとオルガに渡した。

オルガはぱらぱらとめくり、外れてしまったしおりの場所を確認する。

「お前ここの本、読んだことあるか?」

「あるわけないじゃん。読んだことあるの一冊だけだよ、ほら、あの本、この間好きだって言ったやつ」

「あーあれか」

思い出したように本棚に視線を向け、おそらくその小説があるだろう場所を見た。

オルガはそのまま考えたように本棚を見つめる。

「じゃあ、全部読めよ」

いきなり振り返っての突然の申し出にビックリしたあたしは非難の声を上げる。

「えー!!あたしが活字嫌いなの知ってるくせに」

「いいな、全部読めよ」

「ヤダよ。何の見返りもないじゃん」

そうか、といった顔でオルガは視線をはずした。

何かたくらんでいるような顔にも見える。

オルガは真剣な顔で再びこっちを見た。

わたしのあごを掴み、強引に上を向かせ、


キスをした。


すぐに唇を離し、独特の笑みを浮かべる。

「キスしてやるよ」

「バっ!」

じゃあ、今、お前がしたのは何なんだ!と文句をいいたかったが口がパクパクと動くだけで声が出てこない。

きっとオルガにも自分の気持ちなんてばれていたのだ。

その様子が面白かったのか今度はくっくと喉を鳴らして笑っている。

「どれだけかかってもちゃんと読めよ」

「分かったわよ!!ちゃんと読んでやろーじゃない!!!」

わたしは恥ずかしさで赤くなるのを抑えながら立ち上が、そそくさとドアの前まで移動した。

早く逃げなければ。

キスをしたことが起爆剤となり、なんとなく、これ以上居辛かったからだ。

「すごいスピードで読みきって、ほえ面かかせてやるんだからね!!!」

そう言ってオルガを指差し声を張り上げる。

「はは、まぁ楽しみにしてるからな。」

「お楽しみに!!」

意地悪そうに笑ったオルガを背に乱暴に扉を開ける。

そしたらお前んところに帰ってきてやるからさ

何か聞こえたような気がしたが、ドアを閉める音にかき消され聞こえなかった。

まぁどうでもいいことを言われたのだと気にしないことにした。

「明日来るなら午後から来いよ、朝はいねーから」

閉ざされた扉の奥から声が聞こえ、自分の思考を読まれていたことに余計腹が立つ。

「もう、来ないわよ!!!」



それから、真央を真っ赤にして家まで戻った。

四六時中唇を触りながら。










わたしはオルガの約束を守り、翌日の午後、部屋を訪れた。



なくなっていた。



オルガと一冊の本。

たったそれだけだけれども、私にとっては全てだった。

愕然として、視界が揺れ、たっているのもままならない。

特別だった空間はただの一室になり、何の価値もなくなった。

オルガはどこへ行ってしまったのだろう。

昨日の言葉は?昨日の笑顔は?

でも、わたしにはそれを知る機会も、権利すら与えてはくれなかった。

別れの言葉も共に行こうという言葉も何もない。

こうなることすら告げてはもらえなかった。

結局、オルガにとってわたしはそれだけの存在だったのだ。

どうして泣いているのか

どうして叫んでいるのか

あまりにたくさんのことが悲しくて、理由が分からなかった。





「仕方ねぇな、手紙のひとつでも書いてやるよ」





私の髪は元の長さに戻り、彼の残した本もすべて読み終わってしまった。

たった一冊抜けていた本が何なのかも分かったのに。


わたしは約束を守り続けているのに。





どうしてだろう。

それでも、まだ手紙は来ない。










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