この人が常識と言う言葉で括れないことぐらい分かっていたのに、まさかこんなことになるなんて。 「お茶を台無しにした上に、僕は命を助けてもらっちゃてるんだよ?このまま帰すわけにはいかないでしょ?」 帰すわけにいって欲しい。 車で無理やりに引っ張ってこられたのは豪勢なホテル。 入り口を守るのはザフトの兵士。 後ろを守るのはジン・オーカー。 キラとカガリから見たらここは敵の本拠地の真っ只中だった。 困っている様子の二人なんかお構いなしで彼は笑う。 「だいたい彼女なんか服、ぐちゃぐちゃじゃないの。せめてそれだけでもどうにかしてもらわないと、ねぇ?」 そして、よっぽどらしい言葉でその我侭を押し切るのだ。 (・・・まったく変わってない) 頭痛を感じながら苦労性の彼の副官を思い出してしまった。 そう、私は帰ってきたのだ。 どうかこの声が 貴方に どうかこの声が 君に 届きますように 結局はバルトフェルトに押し切られ三人は仰々しいホテルの中に案内された。 中に入ると兵士たちが次々に敬礼してゆく。 その様子がさらにキラとカガリの緊張感を高めた。 奥のドアが乱暴に開き、一人の青年が飛び出してくる。 マーチン・ダコスタ。 自由奔放な上司に苦労する副官である。 短く刈り込まれた燃えるような赤髪を揺らしながらバルトフェルトに向かって声を上げた。 「隊長!!ブルーコスモスに狙われたんですって!?」 凛々しい眉を吊り上げながら憤怒寸前と言った感じだ。 「そこまで知ってるなら、わざわざ僕に確かめることもないでしょ?」 「だから、ひょこひょこ街へ出るのはやめてくださいと、 先日だって未知数のモビルスーツ相手に自ら打って出るなんて・・・!」 いまいち危機感にかけるバルトフェルトにダコスタはそうじゃない、と肩を振るわせた。 「ダコスタくん、客人の前だよ」 そう言ってバルトフェルトはキラたち三人に視線を向ける。 ダコスタは慌てて平然を装った。 しかし、ダコスタの目は何かを探るような目になる。 先ほどのようにテロリスト達がいつバルトフェルトを狙っているか分からないため、 例え子供でも用心に越したことはない。 しかし、キラは気が気ではなかった。 制服を着ていないとはいえ、いつ自分達の素性がばれるかもしれない。 そんな鋭い光をダコスタの目は帯びていたのだ。 キラを見て、カガリを見て、そしてを見る。 ダコスタの体がびくりと跳ねた。 それほど大げさなものではないが、見ていれば気付く程度だ。 心なしか顔も赤い。 「あ、あれってもしかして隊長!」 「し、駄目だよダコスタくん」 キラたちとダコスタの間にいるバルトフェルトはキラたちに背を向けたまま人差し指を立てダコスタを諌める。 「でも!」 納得いかないように声を上げたがバルトフェルトは無視をして三人を奥へ案内した。 ダコスタの前を三人が通り過ぎていく。 一番に後ろにいたは誰にも気付かれないようにダコスタに小さく会釈をする。 慌ててダコスタも敬礼で返した。 「・・・って、どういうことだ?!」 遠ざかってゆく背中を見ながら、 完全においてかれた全く状況の掴めないダコスタはただただ目を開くことしか出来なかった。 次にバルトフェルトを迎えたのは艶やかな黒髪をなびかせた美しい女性だった。 「おかえりなさい、アンディ」 「ただいま、アイシャ」 微笑んだ口元から発せられる少し舌足らずのしゃべり方が愛らしさを強調する。 バルトフェルトとアイシャは視線を交わしキスをした。 人前ですることに慣れているのか、それとも当たり前の習慣なので気にも留めないのか、 どちらにしてもキラたちの方が気恥ずかしい。 「この子ですの?アンディ」 アイシャはキスシーンをみて戸惑っていたカガリの肩を抱く。 「ああ。どうにかしてやってくれ。チリソースとヨーグルトソース、それにお茶までかぶっちゃったんだ」 「あらあらケバブね」 「それから、彼女も」 ゆっくりとの手を引いてアイシャの前へと連れ出した。 は困惑した表情でバルトフェルトとアイシャの顔を見る。 自分も呼ばれるとは思わなかったのだ。 砂煙で少しは汚れているものの、カガリに比べたら気にならない程度のものだ。 「わたしは汚れていないから大丈夫です」 目を伏せて一緒に行くことを拒もうとするにバストフェルトは首をかしげた。 「何を困っているんだい?君もいつまでこれを着ているわけにはいかないだろう?」 何かを揶揄するようにバルトフェルトは笑った。 すぐに言っている意味を掴んだ唇を噛む。 「行ってきなよ」 その言葉にビックリしては振り返った。 初めてキラと視線がぶつかる。 その表情からキラの感情は全く掴めない。 何を考えているのかさえも分からなかった。 ただ戸惑うにアイシャはその肩も抱き寄せた。 「すぐすむからアンディと待ってて。男の子は男の子同士、女の子は女の子同士」 「でも!!」 声を上げたのはだった。 しかし、楽しそうな口調のアイシャは強引に二人を連れて行ってしまう。 は何度も繰り返し振り返ったがキラは答えなかった。 「おーい、君はこっちだ」 そう声をかけられてその場には自分しか残っていなかったため、 ドアから半身乗り出したバルトフェルトの声に答えるようにそちらへ向かう。 (これでよかったんだ) キラは心の中で繰り返す。 後ろ髪引かれる思いがなかったと言えばうそになる。 それでも・・・ 「良かったのかい?」 すでにサイフォンをいじっていたバルトフェルトが入り口で立っているキラに声をかけた。 キラは目を丸くする。 この人はどこまで見透かしているのだと驚いた。 何も答えないキラに肩を竦め口の端を上げる。 「まぁかけたまえ。自分の家だと思ってくつろいでくれよ」 そういわれても、とキラは部屋の中を見渡した。 部屋には見慣れないものが並び、そういう類いに詳しくないキラでさえもその価値はすぐにわかった。 そんな部屋を自分の家といわれてもくつろげるはずがない。 ふと大理石のマントルピーストに目をやると見慣れた化石のレプリカが目に入る。 胴のなかばから翼の骨格を突き出した奇妙な生物の骨格。 通称くじら石と呼ばれるこの骨格は外宇宙から偶然もたらされた地球とは全く異なる生命の証拠だ。 くじら石に関してバルトフェルトと言葉を交わすと手渡されたコーヒーを勧められ、 ちょうど喉が渇いていたキラはそれに口をつける。 キラが眉を寄せた。 コーヒーは決してまずくなかったが、苦い。思いのほか苦かったのだ。 その様子を見て、バルトフェルトは腹を立てるでもなく、微笑みながら 「君にはまだ分からんかなぁ、大人の味は」 と言い、ソファに腰を下ろす。 それを見てキラも遠慮がちではあったが腰を下ろした。 あなたはこっち、とアイシャに言われカガリが押し込まれた部屋の一つ奥を指差される。 そのままアイシャはカガリと一緒に部屋の中へ消え、はどうしようか迷った末に言われた部屋のノブを回した。 まさか、こんな形でザフトに戻れることになるなんて思いもしなかった。 でも 正直、運がいいのか、悪いのか分からない。 (なんだろう、見覚えがある。) その部屋はかつて地上訓練の時に使った部屋だった。 (・・・どうして) 一通り見渡してみたが、誰かが使っている痕跡もない。 逆に怖いぐらいに何も変わっていない部屋。 じゃあ、何が変わった。 分かっている。 変わったのは自分だ。 クローゼットを開けると新品同様の綺麗な軍服がかかっていた。 何となくバルトフェルトの意図を知ったはそれを手にとるとそばのベッドに頬り投げる。 (戻れるチャンスだ) あんなに戻りたがっていたはずなのに、なぜか素直に喜べなかった。 心にはっきりと靄がある。 (コレを逃したら、きっと戻れない) でも でも、何だ? 何を迷っているのだ。 はぎゅっと手を握った。 きつく きつく 痛みで痛みを忘れられるように。 見慣れた軍服を懐かしく見つめる。 ザフトのエリート、殺しのエキスパートの称号である赤服。 これは自分が望んだもの。 そして進んできた道。 迷うことは何もないはずだ。 自分の居場所はここにしかない。 ここが帰るべき場所なのだ。 (ごめんね) 心の中で強く謝罪し、制服に手を伸ばす。 着慣れた肌触りに心が震えた。 でも、泣かない。 あんなに弱弱しく、枯れるほど泣いたのだ。 そんな自分はもういない。 さよなら偽りのわたし。 さよならアークエンジェル。 さよなら、 さよなたみんな。 一番上まできっちりとボタンを留め、脱いだ服を持ってドアをあける。 ドアの傍には兵士が立っていてすぐにに敬礼をした。 「隊長がお待ちです。」 「ありがとう」 「そちらは処分いたしましょうか?」 持っていた服を見つけると兵士は手を出す。 少し迷っては首を横に振った。 返事を確認すると、それでは失礼します、と言って兵士は規律正しく礼をして踵を返す。 そして、すぐ傍にあったダストボックスを開けて自ら服をほおりこんだ。 「さよなら」 無感情な声でそう告げるとはダストボックスを閉めて全てに決別した。 |