特別教官として呼ばれたにあてがわれた部屋は広く快適なものだった。

机の上のパソコンに向かい、なにやら通信をしている。

「そうなの、結構難癖ありそうなのばっかりでね」

『お前もあんまり引っ掻き回すなよ』

「引っ掻き回すって、訓練でぼろぼろに負けさせるののは?」

画面の向こうにいる男は頭をかきながら苦い顔をした。

『お前ね・・・本当にいい性格してるよ』

「教官ですから」

はふざけた笑いを浮かべ、敬礼をする。

『あーおれ同情するよ、そいつらに』

「ま、そんなんでへこたれるようじゃ、おとなしく緑着てなさいって事よ」

『・・・おいおい、それは俺へのあてつけかよ?』










椿姫
・・・藪椿・・・










レイは赤服の襟を開け、横になって天井を見つめていた。

先ほどの訓練から帰ってきて何をするでもなく時間をすごしている。


(・・・・クライン)


最初に会ったときは何者かも知らず、怪しい、ずいぶん馴れ馴れしいやつだと思った。

次に会ったときは上官に当たる人物だとわかったが、失礼なやつだと思った。

だが、さすがあの・クラインだけあって、戦闘能力も作戦も群を抜いてすばらしかった。

死への恐怖を感じさせられるぐらい。

今、自分が彼女にある感情はとにかく気にくわない、だった。

でも、本当にそれだけなのだろうか。

目と声と

あの笑顔が

焼きついて離れない。


(・・・くそっ)

レイは上半身だけ起こすと壁を思いきり叩いた。

手にじんと痛みが走る。

一番気にくわないのは自分だ。

何をそんなに気にかけているのだろう。

何をそんなに振り回されているのだろう。

彼女相手に


ふと時間が気になり、何時なのか時計を確認する。

地上では宇宙と違いきちんと朝昼晩の感覚があるが、夜はどうしても宇宙の感覚になってしまうのだ。

「い・・ち」

深夜の一時だと声を出そうとしたがうまく声が出なかった。

ひどく喉が渇いていることに気づく。

仕方ないとレイは立ち上がると扉へ向かった。


彼女のことが気にくわないと思っている。

でも、今、一番気にくわないのはこんな自分なのだ。





ついていないときは何から何までついていないと思う。

レイは水分を補給するために向かった先でまたに会ってしまった。

なにやら奥のソファでシンと楽しそうに話していのだ。

レイはどうしてかわからなかったが、ひどく苛立っていた。

水分を補給したらさっさと帰ろうと、とりあえず、部屋に一歩踏み入れる。

ブーツの音に気が付いた二人はレイの方を向いた。

「レイ」

先に声をかけたのはシンだった。

「どうしたのレイ、眉間に皺よってるけど」

次にがこんな風に、と自分の眉間に皺を寄せて見せる。

「だめですよ、さん」

「え?なんで笑ってるの、シン?もしかして似てた??」

笑いをこらえるシンにはそのまま顔を寄せていく。

堪えられなくなったシンが噴出したてを引き離そうとした。

「上司命令!さあ、この顔を見て!!」

勘弁してください!とシンは困った顔をしているが、楽しそうに笑っている。

もちろん、の方も楽しそうだ。

レイの中を怒りにも似た何かが駆け巡る。

視線をそらすとドリンクのほうへ足を向けた。

後ろではまだシンとの笑い声が聞こえてくる。

(・・・なんなんだ)

レイは乱暴にドリンクを取り上げるとそのまま扉へ向かおうとした。

「レイ」

名前を呼ばれて足を止めた。

軍人としてきちっとしているレイは目上の人物を邪険に扱うことはできない。

「・・・なんですか」

「休憩なら一緒にどう?ね、シン?」

笑いが止まったシンに振ると、シンも大きくうなづいた。

「結構です。失礼します」

「こういうコミュニケーションも必要だと思うけど」

「自分は水分を補給しに来ただけですので」

しっかりと頭を下げるとレイは外に出て行ってしまう。

は口を曲げて頭をかいた。

「・・・あたし嫌われたかね?」

「レイは誰にでもあんな感じですから気にしないでください。それよりさっきの話の・・・」

扉が閉まり、それ以上、シンとの話は聞こえなかった。

気になりもしたが、それ以上に三人で仲良くいることが嫌だったのでこういった行動に出たのだ。

外に出たレイはドリンクを手から離す。

無重力ではないのでそのまま落下した。

レイはそれを見て舌打ちをすると落としたドリンクを拾いもせずに歩き出した。






夜が明けてレイたちは早朝からミーティングルームに集められた。

他でもないにだ。

時間には皆そろっていて、シン以外は面白くなさそうな顔をしていた。

シュッと扉が開く。

入ってきたは三人の顔を確認するとにっこり笑った。

「お、ちゃんとそろってるじゃない。ボイコットはしなかったわけね」

主にルナマリアを見ながら言うと、ルナマリアはゆっくりと視線を向ける。

「あたしは強くなりたいの。・・・クライン教官、よろしくお願いします」

「いい心がけじゃない。でも、別にあたしは強くないわよ。

 周りがちょっと騒いでたみたいだけど、あたし自身はただの平凡な軍人だから」

は椅子に腰掛ける。

「ただ、あなたたちより少しだけ実戦の経験があるだけ。その分だけ強いのよ」

そのとおりだとレイは思った。

機能の訓練を考えてもあれは本当の実戦向きの作戦だ。

自分たちには到底考えも付かない。

しかし、その戦略を学べば自分たちはさらに一歩先に進むことができる。

実戦で功績を残せる。

気持ちが高揚した。

隣にいたシンがごくりと唾をのむ。

ルナマリアも小さく頷いた。

それぞれの決意を秘めた目を見ては不敵に笑う。

「さ、始めましょうか」





アカデミーでも感じなかった疲労感に堪えながら三人は訓練終了の敬礼をする。

「お疲れ様!」

その言葉でシンとルナマリアはその場にへたり込んでしまった。

「・・・もう、立てない」

「何で、レイとは元気なわけ?」

ルナマリアは平然と立っているレイと教官なのに自分たちと同じ量をこなしたに声を上げる。

今日一日の訓練でルナマリアのに対する態度はまったく変わった。

特別何があったというわけではないが、昨日のシンのときといい、はすぐ人に打ち解けるタイプらしい。

お昼があけてみればを名前を、しかも呼び捨てで呼んでいる始末である。

本人も名前で呼ばれることに抵抗がないらしく、年下や目下など、全くかまわないようだった。

「だらしないなぁ二人とも。レイをみなよ、あんなに毅然と立って」

「・・・本当は疲れてんのよ。レイはかっこつけだからそう見せないだけ」

「ルナマリア!」

レイが声を上げると、肩で息をしながらルナマリアは舌を出す。

は声を上げて笑った。

「あはは、レイって格好つけなの?!」

「かっこつけもかっこうつけよ、このナルシスト」

「お前、いい加減に!!」

「納得!いくら動いてもその髪形崩れないんだもん!なるほどね!!」

それまで笑っちゃいけないと堪えていたシンも思わず噴出してしまう。

三人に大笑いされたレイは顔が赤くなるのを感じてきびすを返した。

「あーだめだめ!ちょっと待って!レイ戻ったら駄目だって」

「もう解散したので戻ってもかまわないでしょう?」

赤くなるのを抑えながら、あくまで平然を装ったレイが振り返ると、はにっこりと笑っている。

先ほどのミーティングルームでの笑顔と同じだ。

「片付け残ってますよ」

レイは眉を寄せた。

「はいはーい、片付けはあたしとレイでやっておくから、二人は先に戻っていいよ」

「っな!」

納得のいかない顔のレイとは逆にシンとルナマリアは表情を輝かせる。

立ち上がり敬礼すると、先ほどまでへばっていたとは思えない動きで戻っていった。

「あれだけ動けるなら、明日はもう少し増やしてもいいか?」

「・・・どういうことですか?」

「しょうがないでしょ?疲れてるのを無理やり動かしても効率悪いしさ。

 それとも、やっぱり疲れてた?なら、あたし一人でやるからいいよ」

そう言って一人で黙々と片づけを始めてしまう。

レイは慌てて肩をつかんで引き止めた。

振り返ったは怪訝そうな顔をしている。

「片付けないと夕飯食べはぐっちゃうんだけど」

思わずつかんでしまったのはいいが、その先のことを考えてなかった。

でも、どうしてか引き止めたかったのだ。

独占欲なのだろうか。

(それはなんだ)

レイは手を離し下を向く。

とんでもなく情けない顔をしているような気がして、そんな顔を見せられないとうつむいた。

「レイ?どうしたの?」

心配そうな声が聞こえてくる。

そのままほっといてくれればいいのに。

かまわないでくれ、と叫んでしまいたかった。

「レイ?」

視界に細い指が入ってきてレイの腕をつかもうとした。

とっさにレイは掴まれる前にその腕をつかんだ。

腕がびくりとした。

「あんたはずるい」

ゆっくりとレイは顔を上げた。

の目、いっぱいにレイが映っている。

(今、俺以外は見ていない)

シンも

ルナマリアも

他の誰も


自分がどうしてそんなことを考えるのかわからなかったが、それが妙な安心感を与えた。

「あんたは俺がないものをたくさん持っている」

の目を見ているのか、それともそれに映った自分を見ているのか分からない。

体の感覚があいまいで、ただ、つかんだ腕だけがやけに熱かった。

そこだけが心地よかった。

自分ばかりこんな気持ちになるなんて

自分ばかちこんな気持ちにさせるなんて

「・・・卑怯だ」

「確かにわたしは卑怯だと思う」

今まで戸惑うようにレイを見つめていたがしっかりとレイを見据える。

「卑怯なことばかりやって今まで生きてきた。

 あたしがレイにないものを持っているとしたら、レイが知らなくてもいい悪いことばかりだと思うよ」

は泣いてしまうかと思うほどに悲しそうに笑った。

思わず手を離してしまう。

「あたしはたくさん道を踏みはずした女だから」

それ以上、何もいえなかったし、近づく事もできなかった。

離してしまった手を見つめる。

「片付け、あたし一人でやるから。レイもゆっくり休んで」

そう言ってやさしく肩を叩かれた。

が遠ざかる靴音だけが耳につく。

レイはその場にただ呆然と立ち尽くしていた。


自分は何を言ったのだろう。

何をしてしまったのだろう。



レイの視界には何も掴めなかった手だけがあった。





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