何で、手を掴んでしまったのだろう。

何で、あんな事を言ってしまったのだろう。

(この手で掴んだ、はずだった)

掴んだ?

何を掴んだのだろう。

ただ、あの目を見ていると自分の知らない自分が現れる。

知らない自分が理解できない何かを欲する。

その見たこともない自分に振り回されて自分は焦ってしまう。

なのに、それでいて、その欲する気持ちは心地よい。

(・・・不可解だ)

この気持ちをなんと言うか知らない。










椿姫
・・・プリムア・・・










(・・・朝か)

レイはうっすらと目を開け、カーテンの隙間から漏れる朝日に顔を顰めた。

寝てはいるのだが全く疲れが取れていない。

最近、特に眠りが浅いせいもある。

原因は分かっていたが、自分ではどうしようもないと半分諦めていた。

そのうち、この不可解な気持ちはどこかへ消えてしまうだろうと思いながら。

ゆっくりと体を起こすとシャワールームへと向かった。

動くのがだるいが今日も訓練はある。

それまでにはしっかりとしていないといけない。

シャツを脱ぐと背中に真新しい痣が目に入る。

先日の潜入シュミレーションの際に思いっきりにやられたのだ。

(あんなに簡単に後ろを取られるなんて)

レイは形の良い唇を歪め苦々しい顔をした。

訓練の度に嫌と言うほど、自分と彼女の差を見せ付けられている。

そんな自分が悔しくて、情けなくもあり、二期前の赤服の優秀さを嫌と言うほど理解させられた。

蛇口を捻ると温かいお湯が降り注ぐ。

「・・・っ」

随所に出来た擦り傷や切り傷がしみて思わず声を上げた。

この傷も訓練の時ものだ。

レイはシャワーを止めてそのまま立ち尽くした。

サバイサルのような事もしたし、肉弾戦もやった。

アカデミーのとき以上にたくさんの訓練をしたが、一つとしてには勝てたためしがない。

「くそっ!」

こうやって自室の壁を何度叩いただろう。

自分の体を落ちる雫のようにように全て流れ落ちてしまえばどんなに楽か。

やりきれない気持ちばかりがあふれてくる。

『ビービー』

通信機の音にレイは我に返った。

バスローブを羽織り、頭を拭きながらバスルームからでる。

「なんだ、ルナマリア?」

『あ、シャワー中にごめんね。から伝言なんだけど』

バスローブ姿を見たルナマリアは眉を寄せた。

の名前が出てきてレイの眉が微かに動く。

「ああ、わかった。どうした?」

『今日、明日の訓練は中止だって』

明らかに不満を告げるようにレイが顔を顰める。

『睨まないでよ。仕方ないでしょ?が急用だって言うんだから』

「急用?」

『何だか、休暇届が確認されてなかったみたいで、昨日慌てて掛け合いに行ったみたいよ』

そのときの様子を思い出すかのようにルナマリアはくっくと笑いを浮かべた。

ルナマリアは同年代の女性パイロットということで特にと仲がいい。

話題にもよく上がっている。

レイはやはりそれが何となく面白くなかった。

『結局、通信でジュール隊長まで出てきてね、ちょっとした騒ぎよ』

「ジュール隊長?」

『そ。とヤキン・ドゥーエの戦いで一緒だった、あの銀髪おかっぱの』

ルナマリアは両手を肩の少し上で垂直なラインを描く。

すぐにレイは若くして白い隊長服に身を包んだ、青年を思い出した。

初めて彼を見たとき、その若さにも目を引かれたが、前を見据えるきりっとした表情は印象的だったからだ。

(・・・目は、似ているかもしれない)

あの強い目はいくつもの戦いを超えてきた証なのだろうか。

それとももっと別の意味があるのだろうか。

『あのもの静かな感じの隊長が怒鳴り声上げてるのよ!そのままと言い合い!笑いこらえるのに必死だったわよ』

「そうか、訓練は休みなんだな」

世間話に花を咲かせる気がないレイは眉間の皺をもっと深くして話をすすめようとする。

ルナマリアは、ちょっとは話に付き合ってくれてもいいじゃない、と零し、ため息をついた。

『そうよ。は朝一のシャトルでプラントへ行くって言うんだから。丸二日オフだって』

「分かった。それじゃあ」

『それで、シンた』

話途中の通信を一方的に切る。

今ごろルナマリアが怒っているだろうと思ったが別に構わないと思った。

ため息をついて下を見ると、滴った水が足元をぬらしていた。

さっきまで温かった体は指先から冷たくなってきている。

もう一度シャワーを浴びようとレイはシャワールームへ向かった。

「プラント・・・か」

レイの声は降り注ぐシャワーの音にかき消された。





休暇といっても特に何かをする事もなく、レイは赤服を着たままドック付近を歩いていた。

遠めにザクファントムを見つめる。

最初にと会ったのはあそこだった。

ほんの数週間前。

なのに、どうしてここにがいないということがこんなに引っかかるのだろう?

たった二日間のはずが何か自分がおかしい。

気がつくとザクファントムの傍まで歩いてきていた。

「・・・まさか、いるはずないのにな」

そう言ってため息をつく。

レイはそんなことを零した自分にビックリした。

(何を考えているんだ・・・)

「あれー?」

振ってきた声に弾かれたように見上げる。

ザクファントムの上から誰かが覗いていた。

逆光で顔は見えないが今度は声でわかった。

(どうして、ここに?)

まぶしさに目を細める。

ザクファントムから身軽に自分の隣に降り立ったのはだった。

相変わらず、作業着に身を包んでいる。

「おはよう、レイ」

「おはようございます」

まさか、本当にここで会うなんて思わなかったレイは動揺を隠しながら挨拶を返した。

探していたわけじゃない。

ここにいるかもしれないと期待していたわけじゃない。

なのに安心した。

傍にいると心が、温かい。

「プラントへ向かわれたんじゃないですか?」


ルナマリアはもとより、シンすら大分砕けた話し方になっている中で、レイはまだ敬語を使っていた。

レイはあまり人と深く関わる気がないのだ。

必ず一線を引いて接している。

更に、の場合は特に不可解な感情がある。

ヘタに近づいて、自分が知らないこの気持ちが何なのか知ることも怖かった。

知ってしまったら、自分が変えられてしまうかもしれないから


当たり前の質問を投げかけられは困ったように笑い、頭をかいた。

「あー仕事が少し残ってたから、午後出発になっちゃったの」

さーん。後は大丈夫ですから行って下さいよー」

ちょうどいいいタイミングでリフト方から整備士に声をかけられ、は手を振る。

「とりあえず、作業の進め方説明して、メモ残したからこれから出発準備するのよ」

「そうですか」

「で、レイは何やってるの?」

期待に満ちた目をレイに向ける。

「いえ、特に」

「いい若いもんが趣味の一つでもないわけ?」

はがっかりしたように肩を落とす。

何を言いたいのか分からないレイは普通に返答を返した。

「午後からは自主訓練をするつもりでしたが」

「あーもう、訓練は趣味じゃないでしょ!」

そうじゃない!とは手を広げ抗議をする。

しかし、レイは特に反応を返さない。

は考えるように手をあごにやった。

(・・・なんなんだ)

しばらく考えているような様子だったがぱっと顔が明るくなる。

レイはどきとした。

「だったら、一緒にプラントにでも行く?」

「プラントへ?」

プラントへ行く為の休暇は必死になってとったのだと聞いている。

それにどうして自分を気軽に誘えるのだろう。

特に意味のない休暇だったのか。

何を言い出すのかと思えば突拍子もないことを言い出したにレイは顔を顰める。

「そうよ、息抜きに!」

名案だといわんばかりに微笑んではレイの肩を掴んだ。

レイは顔が熱くなる。

「空きはまだあるって言ってたから平気だと思うから、すぐ届けを出して・・・」

「しかし!」

大きな声にはビックリして目を開く。

レイも自分の声にびっくりしたが、すぐに息を整える。

「・・・すみません。ジュール隊長が出てきてまで取った休暇に自分がご一緒してもよろしいのですか?」

イザークの名前が出てきては苦々しい顔をした。

「ああ、ルナマリアのヤツめー。ばらしまくってるわね」

口を歪めて頭をがしがしとかく。

「そんなにたいした用事じゃないから、別に気にしないでいいよ」


たいした用事じゃない?

そんなわけがあるか。


「どんな用事なんですか?」

「え?」

再び驚いた顔を向けられて、レイは思わず口に手をあてた。

まさか口からその言葉が出てしまうとは思わなかったのだ。

もレイにそこまで聞かれるとは思わなかったらしく困ったように笑う。

空を仰ぐように空を見つめ、大きく息を吸い込んで大地に吐き出した。

ひとつひとつの動きに目を奪われる。


「一年に一度しか会えない人に会いに行くの」


そう言って向けられた笑みは自分を見ていたが、通り越していとおしい誰かを見てるように優しく、綺麗なものだった。

その笑顔があまりに印象的でレイは一瞬、言葉を失ってしまった。

それと同時にその笑顔が自分に向けられていないものだと分からせられ、沸々と何かが湧き上がる。

レイはそれを必死に押さえながら平然を装うとした。

「だったら、尚の事です。自分が一緒に行く必要はないと思いますが」

「・・・あはは、そうだよね。ごめん。忘れて。なんでもないから、気にしないで」

きっぱりと言われたその言葉に額を押さえるようにして、は笑う。

悲しそうに見えた。

辛そうに見えた。

酷く傷付いたように見えた。

自分ではそんなひどいことを言った気はなかったのに、どうしては辛そうなのだろう。

自分のせいなのだろうか。

こういうとき、どうしたらいいかレイは分からない。

でも、をこの腕で抱きしめたいと思った。

(・・・!俺は何を!!)

レイは自分の考えている事に顔を赤く染める。

今日はそんなことばかりだ。

「あ、じゃあ、あたしそろそろ用意するから。じゃあ、よい休暇を」

レイが俯いて顔が赤いのをばれないようにしていると、が近づいてきてレイの肩を叩いた。

行ってしまう。

ごくりと喉が鳴った。

「待て!」

「何?」

「・・・い、行かないとは言っていないだろう」

照れたように吐き捨てるレイには一瞬きょとんとして、すぐさま口を押さえて笑いをこらえた。

レイは更に顔が赤くなるのを我慢して声を張り上げる。

「笑うな!」

堪え切れなくなったは怒鳴るレイを尻目に大声を上げて笑い出した。

「笑うなと言っているだろう!!」

「あはは、ごめん!でも、ははは!今日のレイ、おかしいよ?いきなり敬語じゃないし」

「っ!!」

「嬉しい」

レイは思わず言葉を飲んでしまう。

嬉しい、なんていわれるとは思わなかったのだ。

「レイだけなんか、距離があったからさ、嬉しい」

確かに自分は距離を作っていた。

軍であればきちんと訓練をこなしていれば上官は何もないはずなのに。

優秀であればあるほど逆に煙たがられたりもした。

だからどうしたと、自分もそれ以上は何も感じていないはずなのに。

何度も声をかけてもらったり、そうやって気にかけてもらえるとこもうざったいことでしかなかったはずだ。

でも

が相手になると全部違うことになってしまう。

自分もそう思ってくれてくれていた事が嬉しいと思った。

の中に自分の場所はある。

自分の事を思っていてくれたこと、自分がを気にかけていたこと。

その気持ちの強さの差は絶対にあると分かっていたが、自分だけではない事が心の固まっていた部分を溶かした。

お腹を抱えて笑っているを見ながら、こんなに心が落ち着いたのは久しぶりなのかもしれないと微笑んだ。



「じゃあ、12:50のシャトルに乗るから、よろしくね」

「ああ、分かった」

レイは手続きをするために本部の方へ向かう。

は手を振りながら見送った。

「レーイ!」

「なんだ?」

名前を呼ばれても何かひっかるものはない。

自分でも驚くほど素直に応答ができた。

「ありがとね」

振り返ると遠くから手を振るに微笑んで背を向けてから小さく手を振った。


この気持ちはもしかしたらそうなのかもしれない。

違うのかもしれない。

決め付けてしまうには勿体無いような気もした。

不安であり、

怖くもあり、

それでも、心地よい

に会えたことで自分にあるはずないと思っていたこんな気持ちにに出会えた。

きっと告げはしないと思う。

今は自分が傍に、共にいれることでいいのだから。


(・・・ありがとう)


そうレイは何度も繰り返した。





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